明石昌夫がB’zをクビになった理由!アスペルガーでコミュニケーションが取れない

明石昌夫 有名人

B’zが1988年にデビューし初期の頃のサウンドを支えた明石昌夫さん。

サポートメンバーのベーシストとしてもアレンジャーとしても活躍しました。

今のB’zがあるのは当時の明石昌夫さんの影響があると言っても過言ではないです。

そんな明石昌夫さんですが、なぜB’zのサポートメンバーを解雇されたのでしょうか?

理由を探ってみたいと思います!

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明石昌夫はB’zをクビになったと言われているのか?

ベースを弾く明石昌夫

B’zのデビュー当時は今のようにロックな音楽スタイルではありませんでした。

ギターの松本孝弘さんがサポートメンバーとしても参加していたTM NETWORKの影響もあり、テクノサウンドも取り入れていました。

デビューから3~4年はそのようなサウンドスタイルが確立されており、明石昌夫さんはアレンジャーとして重要視されていましたね。

次第にB’zのスタイルが変わっていき、明石昌夫さんのアレンジでは合わなくなってきたと言われています。

そんな明石昌夫さんはB’zをクビになったと言われているのでしょうか?

初期の頃は明石昌夫さん無くしてはB’zとして成り立たないとまで言われていたよね。でも今のB’zのスタイルでは明石昌夫さんがクビになったとしても仕方ないかも。

B’zのサウンドがゴリゴリのロックに変わってから初期のサウンドが得意な明石昌夫さんが通用しなくなるのは当然かもね。

そもそも明石昌夫さん自体がアレンジャーの力とか関係なくコミュニケーションに難があったと言われているよ。

このように言われているんですねぇ。

実際明石昌夫さんがB’zをクビになったと言われる理由がどんな理由だったのか、詳しく見ていきたいと思います!

明石昌夫がB’zをクビになった理由!

初期のB’zを支えたとまで言われている明石昌夫さん。

そんな明石昌夫さんがB’zをクビになった理由はこちらになります!

アスペルガーでコミュニケーションが取れない

アスペルガーを公表する明石昌夫

B’zのサポートメンバーやアレンジャーをクビになった理由として挙げられるのが、アスペルガーという事です。

アスペルガー症候群は社会性や協調性、コミュニケーション力に支障を来たす先天的な障害です。患者さんは他人の気持ちを汲み取りにくく、空気を読むことが苦手な傾向があります。言葉の裏にある本意を察せず額面どおりにとらえるため、円滑なコミュニケーションができず対人関係でトラブルを抱える局面が多々あります。

引用:メディカルドック

これは明石昌夫さん本人からもアスペルガーであると公認しています。

明石昌夫さんはSNSやインタビューなどでも人の気持ちを考えたり、人の顔が覚るのが苦手と語っています。

また人付き合いが苦手とも語っていますので、B’zの2人や他のスタッフとのコミュニケーションに難があったのではないでしょうか?

アスペルガーというのは発達障害の一種ですが、大人になって実はアスペルガーだったと分かる人も少なくありません。

大人のアスペルガー

B’zの2人とは最初の方はコミュニケーションを取れていたのかもしれません。

しかし、段々売れてコミュニケーションもより取っていかなくてはならない状況なのに取れなくなってきたのではないでしょうか?

そんな関係が続き、これからの先を考えた時にお互いがギクシャクしてしまう前に離れようとB’z側から提案されたのかもしれませんね。

今ではYouTubeなどで明石昌夫さんがアスペルガーだったのが理由として言われています。

ただファンの方には明石昌夫さんのいるサポートメンバーでまたコンサートツアーが見たいと望む方も多いそうです。

それほど明石昌夫さんの存在は大きいという事ですね!

アレンジのネタ切れになった

アレンジャーとしての明石昌夫

明石昌夫さんはアレンジャーとしてB’zの初期サウンドを支えて数多くの曲に関わってきました。

古くからのB’zはファンは「今のB’zのサウンドより初期の頃が良かったなぁ」なんて言ってる人もいます。

確かにこういった声は度々聞かれますよね。それはB’zではなくても他のバンドでも。

ただ、同じサウンドでしか生み出さないといつか飽きられてしまうのも確かです。

B’zを始めとする今でも売れ続けているバンドというのは、バンドの形やサウンドを常に模索しながら形を変えていっていますからね。

初期のままで売れ続けているというのはほぼ無いのではないと思います。

そんな中で明石昌夫さんのアレンジャーとしての能力はいつからかネタ切れになったと言われています。

明石昌夫さんはB’zのアルバム『The 7th Blues』やシングル「MOTEL」の制作している時期にこう言っています。

B’zのシングルmotel

「アレンジのネタが尽きた」「アイデアが出てこなくなった」と語り、実際にアレンジ作業が進まなかったとの事です。

それがB’zから離れる一因となったのではと言っています。

ですが、ネタ切れと言えど、初期のB’zサウンドがなければ、ファンが付かなかった恐れもあります。

それくらい明石昌夫さんのアレンジャーとしての能力は大きいと思います!

B’z以外ではアレンジャーとして活躍

明石昌夫がアレンジとして関わったバンド

では明石昌夫さんはB’zをクビになったからと言ってその能力がなくなったのでしょうか?

そうではなく、B’z以外のアーティストへのアレンジャーとしての能力はしっかり引き継がれています。

ZARDやWANDS、T-BOLANなど多くのアーティストのアレンジを手がけました。

90年代J-POPのサウンドを支え続けていましたね!

明石昌夫さんのアレンジする曲はシンセサイザーなどの楽器を使用した物で曲調も好きな人はとても多くいます。

B’zのサウンドはロックを基調とした物に変化していったので明石昌夫さんのサウンドスタイルは合わなくなってきただけです。

他のバンドやアーティストでは明石昌夫さんのアレンジャーとしての能力は発揮されていたという事ですね!

世間の声

B’zの初期サウンドで活躍された明石昌夫さん。

B’zをクビになったと言われることについてどう感じているのでしょうか?

やはり明石昌夫さんの影響が大きかったと数多くの人が認めています。

B’zがこれだけ大きなバンドに成長しても明石昌夫さんという存在がなければ今のB’zは無いと改めて感じますね。

まとめ

明石昌夫さんがB’zをクビになった理由を探ってきましたがいかがでした?

明石昌夫さんの突然の訃報によりB’zが明石昌夫さんともう一度バンドを組むことは叶わなくなってしまいました。

ですが、明石昌夫さんのアレンジした曲はいつまでもファンの心に残ります。

今後もアレンジした曲を思い出しながら明石昌夫さんの功績を称えたいですね!

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