【wiki経歴】市毛良枝の家族構成や学歴が気になる!登山はいつからしてるの?徹底調査!

市毛良枝 事件

ドラマや映画でたくさんの名作に出演して、現在でも活躍している俳優の市毛良枝さん。

年齢も重ね大御所の存在になっているのにも関わらず、登山家としても精力的に活動していますよね。

そんな市毛良枝さんの家族構成や学歴などの経歴をお届けします。

そして登山いつから始めたのかなど調査しました。

市毛良枝のwiki経歴

市毛良枝さんは、静岡県出身で今では大御所と言ってもよい日本を代表する名俳優です。

俳優としての一面だけでなく現在は登山家、エッセイストとしても多方面での活動をし注目されていますね。

市毛良枝さんのwiki経歴がこちらになります。

項目内容
本名市毛良枝
生年月日1950年9月6日
年齢75歳(2025年10月現在)
出身地静岡県田方郡修善寺町(現・伊豆市)
血液型O型
身長156cm
星座おとめ座
干支寅年
学歴立教女学院中学校・高等学校 卒業
所属事務所アミューズ
デビュー年1971年
デビュー作『冬の華』(TBSテレビ)
主な代表作『嫁姑シリーズ』(フジテレビ)、『独眼竜政宗』(NHK)、『やまとなでしこ』(フジテレビ)、『明日を綴る写真館』(映画)
趣味登山、ヨガ、社交ダンス、読書、水泳、カヤック
資格・役職環境カウンセラー、日本トレッキング協会 理事
所属・職業女優、登山家、エッセイスト

市毛良枝さんはデビューから50年以上も俳優として活動しています。

爽やかで温かみのある演技を観るとホッとする気持ちになりますよね。

ファンに愛され続けている市毛良枝さんの詳しい情報をもっと知りたいと思いませんか?

それではまず家族構成から調査しました!

市毛良枝の家族構成は?

市毛良枝さんの家族構成は、医者の家庭で育ちました。

市毛良枝さん自身も結婚と離婚を経験しています。

その辺りを詳しくお届けしていきます。

生まれた家は医師の家系

市毛良枝さんは1950年9月6日に静岡県田方郡修善寺町(現在の伊豆市)で生まれました。

市毛良枝さんの父親は耳鼻科医で、船医としても勤務していました。父親は水戸市の方で8代続く名家の出身で伊豆に移住してきたようです。

母親と2人の兄の3人兄弟で育ちました。

2人の兄とは年齢が離れていたため、一人っ子のような環境で育ったようです。

裕福な家庭で、小学生の時は一人だけ三越製の高級ランドセルを使ってたようです。

さぞかし同級生に羨ましがられたのではないかと推測します!

政治家の小川敏夫氏と結婚したがのちに離婚

政治家の小川敏夫氏と結婚した市毛良枝
政治家の小川敏夫氏と結婚した市毛良枝さん

市毛良枝さんは1988年9月に当時弁護士だった小川敏夫(おがわ としお)氏と結婚しました。

小川敏夫氏はその後参議院議員、法務大臣、副議長などを歴任した政治家です。

小川敏夫氏

夫妻の印象はどちらとも知的なイメージなので、「お似合いの夫婦」と言われていました。

しかし、市毛良枝さんも大女優であり、小川敏夫氏も政治家として活動するとなると一緒に生活してもすれ違いが生じない訳ありません。

その結果、1997年に離婚という形を取ることになりました。

ちなみに市毛良枝さんと小川敏夫氏との間には子どもはいません。

子どもを持たなかった理由は公表されておらず、作らなかったのかできなかったのかは不明です。

母親の介護を13年間続けてきた

母親と一緒の市毛良枝
母親と一緒の市毛良枝さん

市毛良枝さんは母親の介護を約13年間続けました。

市毛良枝さんの母親は2004年頃に脳梗塞を2度発症し、身体機能が麻痺した状態で車椅子生活になりました。

リハビリを頑張って行ったり、市毛良枝さんの献身的な介護により、90代でも海外旅行を楽しんだようです。

母親と旅行を楽しむ市毛良枝さん

しかし市毛良枝さんの母親の介護は決して楽なものではなかったようです。

介護は大きな精神的負担となり、一時は「介護うつ」にも陥りました。

介護うつは家族などの介護をしている人が、介護疲れやストレスが原因でうつ病を発症した状態のことです。

引用:LIFULL介護

ソーシャルワーカーの面談で3時間泣き続けるほど追い詰められたこともあったようです。

しかし音楽や社交ダンスなどの趣味が心の支えとなり、自分を立て直すきっかけになり、母親の介護を全うできたんですね。

市毛良枝さんの母親は2016年に100歳で大往生しました。

100歳まで生きその人生を全うできるなんて、寿命もあるでしょうが、これは市毛良枝さんの献身的な介護があったからだと思います。

市毛良枝の学歴は?

市毛良枝さんはどのような学歴を歩んでいたのでしょうか?

市毛良枝さんの小学校時代を調査しましたが、具体的な校名の情報は見当たりませんでした。

ですが、市毛良枝さんは小学校時代、体が弱くてよく発熱して学校を休んだりしていたそうです。

成績は音楽や体育以外は優秀だったと言っています。

立教女学院中学校・高等学校を卒業

立教女学院

市毛良枝さんの中学・高校時代は、立教女学院中学校・高等学校に通学していました。

立教女学院は東京都杉並区にある伝統ある私立の女子校です。

創立は1877年と古く、市毛良枝さんが通っていた当時も現在と同じく難関校として知られていました。

市毛良枝さんは東京の世田谷にある叔母の家に下宿しながら通学をしていたそうです。

高校では、演劇部に所属しており、舞台公演では主に裏方を担当して読書もよくしていました。

​「文学座附属演劇研究所」や「俳優小劇場養成所」に入り演技を学ぶ

文学座附属演劇研究所

市毛良枝さんは、高校卒業して大学に進学するのではなく「女優さんにでもなっちゃおうかなぁ」という気持ちがあったそうです。

その結果ですが、軽い気持ちで文学座附属演劇研究所に入所しました。

市毛良枝さんは何度も「出来ない、出来ないの繰り返し」で苦労しながらこの研究所で揉まれていました。

稽古している風景

その経験が市毛良枝さんの女優人生においてとても経験になったそうです。

そして市毛良枝さんは文学座附属演劇研究所に加え、俳優小劇場養成所にも入所しています。

俳優小劇場養成所には1970年頃に所属していたとされます。

その後大女優として活躍される市毛良枝さんの演劇の基礎を身に着けた場所となっているんですね。

市毛良枝は登山はいつから始めているの?

市毛良枝さんと言えば、大女優という肩書だけでなく登山家というもう一つの顔もあります。

市毛良枝さんが登山を始めたきっかけは、40歳頃に父親が入院していた病院で、担当医師と山の話をしたことでした。

入院した病院のお医者さんが山が好きだった。その方が山が好きで山のお話を聞かせていただいて、楽しそうだなって。行きたいな、行ってみたいなって思ったんですね」

引用:スポニチ

きっかけだったのは父親の担当医師の話でしたが、その後市毛良枝さんは実際に登山にチャレンジします。

初めての登山では北アルプスの燕岳から常念岳への縦走に参加しました。

燕岳から常念岳への縦走
燕岳から常念岳への縦走

この経験が自信となって、登山にのめり込んでいくきっかけになったそうです。

それから市毛良枝さんの趣味には「登山」というのが加わりました。

市毛良枝さんは、登山にはまって行き、色々な山の登頂を成功していきます。

1993年にはキリマンジャロ登頂も果たしています。

キリマンジャロ登頂を果たした市毛良枝さん
キリマンジャロ登頂を果たした市毛良枝さん

市毛良枝が記したエッセイでは当時のキリマンジャロ登頂の事を語られています。

頂上直前にぎっくり腰を起こしてしまい、登頂を断念しかかったが、ガイドに励まされて登る事ができたそうです。

山は達成感というよりも、私は経過が好きなんです。山の頂に至るすべてが楽しいのです。

引用:エコチャレンジャー

40歳から登山に目覚め、そこから日本のみならず、世界の有名な山に挑戦し続ける姿はとても素敵ですね。

現在75歳になる市毛良枝さんですが、現在でも精力的に活動を続ける力の根源にもなっていると思います。

まとめ

市毛良枝さんの家族構成や学歴など市毛良枝さんが大女優になるまでに、どんな人生を歩んできたのかお届けしてきました。

75歳という年齢にも関わらず、現在でも精力的に活動している理由が分かったと思います。

お金では買えない経験を大事にする市毛良枝さんらしく、今後も私たちが驚くような活動をして欲しいですね。

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