日本の映画界や演劇界の「大御所」として、多くのファンを魅了し続けている俳優と言えば仲代達也さんですよね。
黒澤明さんや、小林正樹さん、岡本喜八さんといった世界的な名匠たちの作品で伝説的な役をたくさん演じていました。
圧倒的な存在感や演技力はまさに演劇界のドンです!
日本の俳優たちにたくさん影響を与えていると言っても過言ではないですよね。
そんな演劇界のドン!仲代達也さんですが、結婚はして嫁や子どもはいるのか?学歴はどんな歩みだったのか?
どんな人か気になるので調査しました!
仲代達也のwiki経歴
仲代達也さんは1932年12月13日生まれで2025年11月現在で92歳になられます。
日本にその名を轟かした名俳優仲代達也さんはいったいどんな経歴を歩まれてきたのでしょうか?
wiki経歴として仲代達也さんの歩んだ歴史をまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 芸名 | 仲代 達矢(なかだい たつや) |
| 本名 | 仲代 元久(なかだい もとひさ) |
| 生年月日 | 1932年12月13日 |
| 出身地 | 東京都目黒区 |
| 身長 | 178cm |
| 血液型 | B型 |
| 職業 | 俳優、演出家、歌手、ナレーター、声優 |
| 学歴 | 1952年 俳優座演劇研究所付属俳優養成所入所(4期生) |
| デビュー | 1955年 劇団俳優座に加入、舞台『幽霊』で初舞台 |
| 主な出演映画 | 『七人の侍』(1954年、エキストラ)、『用心棒』(1961年)、『切腹』(1962年)、『影武者』(1980年)など |
| 主な舞台出演 | 『ハムレット』『マクベス』『ジョン・ガブリエルと呼ばれた男』など |
| 無名塾 | 1975年に俳優養成所「無名塾」を設立し主宰 |
| 受賞歴 | 芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、文化勲章ほか多数 |
| 役者としての特徴 | 黒澤明監督作品での出演、敵役としての名声、一流の映画俳優として評価される |
| その他 | 俳優座退団は1979年、歌手やナレーター活動も行う |
仲代達也さんは俳優だけでなく、演出家、歌手、ナレーター、声優と色々な顔をお持ちでした。
しかもそのどれもが仲代達也さんが醸し出すオーラが凄いので作品としても魅力的なものになるのが多いですよね。
まさに名俳優であり、それこそ「演劇界のドン」でしょう。
そんな演劇界のドン仲代達也さんはどんな人だったのか詳しく見ていきたいと思います!
仲代達也の嫁は誰?

仲代達也さんは「演劇界のドン」として君臨し続けている方ですが、結婚はしているのでしょうか?
気になるので調査しました。
仲代達矢さんは1957年に女優であり脚本家・演出家でもあった宮崎恭子さんと結婚しました。
仲代達也さんと嫁でもある宮崎恭子さんは1955年の舞台『森は生きている』での共演がきっかけで、その後結婚しています。
2人は夫婦であると共に作品を作り出していく仕事のパートナーでもありました。
そんな仲代達也さんと嫁の宮崎恭子さんの夫婦は40年間の結婚生活を共に過ごしました。
嫁の宮崎恭子さんは1996年に膵臓がんで亡くなってしまいましたが、仲代達矢さんは宮崎恭子さんの闘病を支え続けたそうです。
「膵臓がんで亡くなった妻・宮崎恭子が残した数々の手紙。遺言を守り『無名塾』を続けてきたから、89歳の今でも舞台に立っていられる」
引用:婦人公論.jp
宮崎恭子さんが闘病中に仲代達也さんに残した励ましの言葉や感謝の気持ちが書かれた手紙があったそうです。
仲代達也さんにとってかけがえのない宝物だったんですね。
仲代達也さんが文化勲章を受章した時にも、「一番喜んでいるのは宮崎恭子だ」と嬉しそうに語っていました。
仲代達也さんにとって嫁の宮崎恭子さんという方は、自分の生きる価値を見出してくれた女性だったのではないかと推測します。
とても似合いの夫婦だったんでしょうね!
仲代達也は子どもはいるの?
仲代達也さんは嫁に宮崎恭子さんという方がいらっしゃいました。
2人が結婚し、子どもはいたのでしょうか?
養女の仲代奈緒

仲代達也さんと嫁の宮崎恭子さんの間には子どもはいませんでした。
子どもがいない理由として、子どもを作らなかったのか、作れなかったのかは公表されていないので不明です。
そんな仲代達也さんと嫁の宮崎恭子さんには実子はいませんが、養女はいます。
その方は、嫁の宮崎恭子さんの妹の娘である仲代奈緒さんです。宮崎恭子さんが亡くなった後に養女として迎えられました。
歌手/女優
俳優・仲代達矢氏と、その妻であり脚本家・演出家でもあった故・宮崎恭子(隆巴)氏の一人娘。
宮崎恭子さんの妹は宮崎総子(みやざき ふさこ)さんで、元フジテレビのアナウンサーおよびニュースキャスターでした。

宮崎総子さんは1973年に同じフジテレビのアナウンサー山川建夫さんと結婚し一女をもうけましたが1978年に離婚しました。
その娘が仲代奈緒さんです。
奈緒さんは4歳のときに仲代達也夫妻に迎えられたそうで養女となっています。
仲代達也さんは奈緒さんを溺愛していたそうです。
仲代奈緒さんは愛情を持って育ててくれた仲代達也さんにとても感謝していると語っていたと言われています。
もう1人養子いる
仲代達也さんには養女の奈緒さん以外にももう1人養子に迎え入れた人がいるそうです。
名前や年齢などは不明ですが、女性というだけの情報しか公表されていないです。
「奈緒も了承したうえで、彼女を養子にしたのだから、問題ない。わだかまりもない。彼女は10年も……」
引用:ライブドアニュース
この女性を養子にしたことは仲代達也さんも認めているそうです。
ただ、養子になった経緯などは仲代達也さんも養子になった女性からも詳しく語られていないようです。
大物芸能人なので相続などで争うシーンなどニュースでよく見かけますが、仲代達也さんの場合はどうなっていくのでしょう?
気になりますね!
仲代達也の学歴は?
仲代達也さんはどんな人か気になるのですが、学歴はどんな感じなのでしょうか?
1927年12月13日に東京都で生まれています。
仲代達也さんは東京の学校に通われていました。
港区立青南小学校に通っていた

仲代達也さんの小学校時代のエピソードとしては、戦時中の空襲の危険から避難生活を余儀なくされていたそうです。
当時は第二次世界大戦の最中ですからね。
非常に貧しい環境だったようです。その日食べるものもままならない極貧状態で育ったんですね。
しかし仲代達也さんはこの時期に強いく生きる意志と精神力を培ったそうで、後の俳優人生にも大きな影響を与えました。
戦争中の苦しい毎日の事を考えれば、ちょっとやそっとの苦しいことなど比べ物にならないのかもしれません。
世田谷区立烏山中学校に進学

その後中学生になった仲代達也さんですが、小学校時代と同じく戦争のため避難生活に追われていたようです。
中学校時代も戦争の影響を受けて生活は困難だったと思います。
しかし教育を受けることにはかなり努めていたのではないでしょうか?
飢餓状態もすごかった。集団疎開で20人ぐらいお寺に泊まったが、歯磨き粉が1日で無くなる。みんな、なめるから。
引用:長崎新聞
自身の壮絶な戦争体験を仲代達也さんは語っています。
戦争が終わった後でも飢餓感が消えない生活というのは「トラウマ」という言葉では片づけられないかもしれません。
仲代達也さんはそんな時代を生きてきたんですね。
高校は複数の学校に入学し卒業
仲代達也さんは高校に進学される時最初の学校は東京都立北豊島工業高校(都立北豊島工業学校)に進学しています。

仲代達也さんはこの高校に入学しましたが、ここでも戦争により学校生活がまともに送れませんでした。
仲代達也さんは戦時中の空襲激化で一時中退することになってしまいました。
その後仲代達也さんは別の高校に入学します。
東京都立重機工業学校を卒業し、さらに東京都立千歳高等学校定時制課程も修了しています。
そうしてやっと高校の卒業資格を得れたんですね。
戦争下の社会混乱の影響があったにせよ、仲代達也さんは勉学を学びたいと言う希望にも溢れていたのでしょう。
なのでこうして複数の学校に通う事で高校時代を過ごされたんですね。
大学に進学せず俳優座養成所に入る
仲代達也さんは高校卒業後、大学には進学しませんでした。
仲代達也さんが大学に進学しなかった理由は公表していませんが、戦時中に家計が非常に苦しかったのも原因だったかもしれません。
それに幼少期から映画や演劇への強い興味を持っていました。
高校卒業後は俳優になることを選んだため、大学進学よりも俳優座養成所に入所し演技を学ぶ道を選びました。
19歳の頃に俳優座養成所に入りその後の仲代達也さんの俳優人生に繋がっていくんですね。
そして「演劇界のドン」と言われるまでになる大御所俳優になっていくのは感慨深いです。
まとめ
仲代達也さんのwiki経歴をたどると共に結婚、嫁、子ども、学歴についてどんな人かお届けしてきました。
演劇界のドンとまで呼ばれるようになった俳優仲代達也さんの人生ですがとても濃いですね。
さすがに他の役者さんたちからも崇められる方なんだなと感じました。
